トキ絶滅

トキ

私は、1歳に満たない頃から、祖父母の部屋で寝ていた。10歳で自分の部屋を与えられ、そこにベッドもコタツもテレビもコンポも用意されたが、たった2日でその部屋を弟に譲り、再び祖父母の部屋に入り浸るようになった。11歳の時に祖父のテイイチが入院し、一時的に祖母のトキと二人で寝ていたが、テイイチが退院をしてくると再び三人で寝るようになった。
物心がついた時から、私は祖父母と共に行動を共にしており、一緒に遊んだり一緒に旅行へと出掛けたりする一方で、「おじいちゃんとおばあちゃんが行かないなら行かない」と、父と母との旅行は拒んでいたらしい。だから私の昔の写真には、若い父や母、幼い弟、ディズニーランドや札幌雪祭りなどハイカラなものはなく、祖父と祖母、古びた温泉街や野山など地味な絵とともに収まった笑顔しかない。

大好きだった祖父が亡くなったのは12歳の頃だった。
人の死をどこまで理解できていたのか、今の私には分からないけれど、大きなショックを受けるというよりは、未知の領域に出くわしたような気がしていた。それから10年が経ち22歳の時、健康だったはずのトキが何の前触れもなく、いきなりクモ膜下出血で倒れた。既に家を出ていた私が、意識のないトキと対面できたのは6ヶ月後で、新入社員として働いていた身として、亡くなったわけでもない祖母に会うために休みを取るなど許されないような気がしていて、誰にも話さず、帰省できる日を待っていた。

ふくよかだった祖母の身体はミイラのように痩せ細り、ゆるやかなパーマをかけていた美しい髪も薄くなっていた。ただ、ウーウーと一定のタイミングで小さく唸るだけで、何を話しかけても答えてくれない祖母の姿は、まるで見知らぬ人のようで、鶏の脚によく似た、ただただ細い手を握りながら私は病室で泣いてしまい、ごめんなさい、ごめんなさい、早く来ることができなくてごめんなさい、と繰り返していた。

「ウーウーウーウー」
同じ病室には、同じような状態の患者が何人かいて、同じようにひたすら唸るような声をあげていた。
「トキさん、この子、東京から帰ってきたばかりで疲れているだろうから、今日は自宅に連れて帰って、また明日来るね」
母が祖母にささやくと、
「ウーウーウーウー」と、だいぶ奥のベッドから聞こえてきた。
「おめえじゃねーよ」
母が奥に向かって言い、そこでようやく私は笑うことができた。

それから14年間、帰省をする度に見舞ったが、トキは意識を戻すことなく一昨年の冬に亡くなった。
家族の間では、もうとっくに覚悟はできており、私も祖母の死を冷静に受け止めることができた。
新幹線に乗り約2時間半、そこから在来線で30分。さらにタクシーで15分ほどのところにある風間家では、近所のおばあさんたちが既に集まっており、息をしないトキを眺めながら涙ながらに思い出話を語っていた。

「トキ絶滅」
帰省した私を発見した弟は近寄ってくるなり、そう言った。
「うまいこと言うねえ」
明るく振る舞うことができるのも、ひとえにトキが14年間、頑張ったからだろう。もし、倒れた時にそのまま亡くなっていたら、こんな冗談などは言えなかったと思う。この長い歳月の間に、家族は何度も覚悟を決め、そしていつか来るであろう日を受け止めていた。
笑い合う兄弟を白い目で見ながら深刻そうな顔をしている近所のババアたちには分かるまい。一度だって見舞いにも来ず、こういう時だけ暇潰しの延長で泣かれても、家族の胸には響かない。

「アサちゃん、だから白いガーゼみたいな布よ。この辺に置いたのよ」
弟の嫁・アサちゃんと一緒に、母が何かを探している。
「ただいま。今帰ったよ」
二人に声を掛けると、二人ともこちらを見ないまま「おかえりなさい」と言い、手当たり次第に物をひっくり返しながら、何かを探し続けていた。
「手伝おうか?」
そう言うと、ようやく母が顔をあげた。
「白いガーゼみたいな布を探してもらえる?この辺りに置いたはずなんだけど、見当たらないのよ」
母は続けた。
「トキさんの顔に掛ける布。覚えている?テイイチさんの時のこと」
覚えている。
テイイチはトキと違って、急に亡くなったので、家族は心の準備も含めて、何の準備もできておらず、母が「顔に掛ける布がないから手拭いでいいよね」と車庫から、ありったけの手拭いを持って来たものの、その全てに「祭」「祝」「寿」「喜」などと書かれており、よせばいいものの坊主(和尚さん)に「こんなものしか見当たらないのですが」と渡し「あまりにも不謹慎です」と叱られていた。

まつり

白い布が見つかってから数日後、トキの葬儀が行われたが、笑いの絶えない葬儀となった。
長くなるので、続きは次の更新にて。

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