鼻毛の乙事主(おっことぬし)

少し前から左の鼻の穴がムズムズとしていた。
いくら鼻とは言え、アナルはアナルだ。右手の親指と人差し指をやさしく入れ、その原因を探った。これだ、こいつに間違いない。一本の毛を掴むと、えい!と引っ張った。それでも毛は抜けない。数秒後に、くしゃみが出た。

しばらくすると、再び左の鼻の穴がムズムズとした。
再び右手の親指と人差し指をやさしく入れ、その原因を探った。やっぱり、こいつだ、間違いない。今度こそは…と慎重に、一本の毛を掴むと、えいやー!と声まで出して引っ張った。それでも毛は抜けない。数秒後に、やっぱりくしゃみが出た。

怒った私は洗面台へと走った。忙しい私を二度も手こずらせやがった鼻毛に罰を与えてやらねばならない。
鏡の前に立ち、鼻の穴を膨らませると、右手の人差し指を使って、左の鼻の穴を上へと広げた。俗に言う「セルフ・鼻フック」だ。すると一本の毛が、冷静さを失った私を挑発するように、ひょっこりと姿を現した。
「おめえだな。からかいやがって、今に見てろよ」
一旦、部屋に戻り、毛抜きを手にして、またも鏡の前でセルフ・鼻フックをした。しかし、さっきまで嘲笑うかのように人の心を逆撫でしていた毛の姿が見えない。一本、また一本と左の鼻から毛を抜いたが、どうも違う。アイツではない。

今日のところは見逃してやる。机に向かって仕事をしていると、またも左の鼻の穴がムズムズとした。
今度は右手の親指と人差し指を乱暴に入れ、荒々しく原因を探った。むんず、と掴んだ毛を引っ張ると、アイツのような気がした。逃げられないように右手の指で押さえたまま、鏡の前へ移動した。
指が掴んでいた毛は、紛れもなくアイツだった。掴んだ毛を放さぬまま、今度は左手で毛抜きを持ち、太い剛毛をしっかりと挟んだ。一気に引っ張る。しかし、あんなにガッチリと挟んでいたはずだったのに、あいつは抜けなかった。

しぶとい。もしかしたら、こいつは、この森の主なのかもしれない。
私はその毛を「鼻毛の乙事主(おっことぬし)」と名付けた。
乙事主
※画像は「もののけ姫」の乙事主。

乙事主は頑固で融通が利かず、人間に気付く察知能力も高い。
すぐにセルフ・鼻フックで鼻の中を覗いたが、やはり姿を隠したままで、その日は二度と出てこなかった。

翌日、左の鼻の穴がムズムズとした。
乙事主の仕業だ。もはや生きているとしか思えないほど、乙事主は森の中を縦横無尽に駆け回り、私の地雷を踏んだ。
森そのものを破壊してやる。森を侵す人間を憎むだけ憎め。私も負けない。
手当たり次第、毛を抜いた。一本、また一本と無実の毛が引き抜かれる一方で、私の目からは一粒、また一粒と涙がこぼれた。
オラ、本当は争いなんてしたくねぇだ…。

グッと挟んだ毛抜きが、当たりを告げた。この感触、間違いない、乙事主だ。
昨日のミスを反省し、毛抜きに全身の力を込め、ゆっくりと引いた。まだ抜けない。涙は滝のように流れるも、それでも、もっと力を込めて引っ張った。それでも乙事主は抜けず、ひょっとしたら乙事主は鼻毛ではなく、鼻そのものではないか?と錯覚するまでになった。乙事主だけを残して鼻全体が取れるのでは…。
しかし、人間は森のことなど考えずに、最後まで身勝手な目的を達成しようとする。最大限の力で乙事主を引っ張った瞬間、ぶちっと言う大きな音が響き、優に6センチは超えると思われる長くて太い姿をあらわにした。

これが乙事主…。
毛抜きに注いでいた全身の力を抜くと、乙事主はヒラヒラと舞いながら、私の手のひらに落ちた。
「太い、そして美しく儚い…」
次の瞬間、乙事主はくるりとトグロを巻き、私を威嚇した。

それ以降、私はくしゃみが止まらない。
森の祟りと然るべき罰は、潔く受けて生きていくつもりだ。

森

限りある自然を大切にしましょう。

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